ギャラリー日記

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2月7日

昨日からの冷たい雨が朝になっても止まず、重装備で出勤。
明日からのソウルはどうやら晴れの日が続きそうで一安心だが、寒さが尋常ではないので、更に重装備で出かけなくては。

韓国に行く時いつも困るのは、お土産に何をするかである。
台湾から来る方はきまってパイナップルケーキ、韓国の方は韓国海苔か朝鮮人参と相場が決まっているが、日本からとなると何にしていいか迷ってしまう。
かさばらないようにとお茶とか海苔が多いが、これも定番過ぎて私たち同様に先方にまたかと思われてしまってもいけない。
何が喜んでくれるのか一度聞いてみなくてはいけないが、今回はこれぞというのが見つかった。
草間弥生の水玉パッケージのクッキーを先日ブックレイヤーの浜田氏からいただいたが、これは韓国の美術関係者には絶対に受けるはずである。
表参道ヒルズで売っているというから家内に買ってきてもらうことにした。



2月6日

多摩美術大学美術館では2月4日から2月26日まで「浜田晋コレクションの版画」と題した展覧会が開催される。
浜田晋氏は現場医療の重要性を訴え、地域に密着したきめ細やかな精神医療のパイオニアとして活躍された精神科医だが、その傍ら、長年にわたり有名作家から若手作家まで多くの版画作品を蒐集された。
そのコレクション545点を多摩美術大学に寄贈することになり、うち150点が今回展示されることになった。
浜田氏は作品寄贈の後に亡くなられ、残念ながらこの展覧会を見ることが出来ないが、医業の業績と共に秀逸な作品が散逸することなく、多くの人の目に触れることを喜んでおられることだろう。
版画マーケットが低迷をしている中、こうした一貫した版画のコレクションあったことを知っていただき、個人コレクションの一つのあり様として注目したい。

2月5日

寒い中、今週は連日母の家の整理と2軒のお客様の美術品の整理があってくたくた。
我が家はもちろんだが、お客様の美術品も数だけは大量にあるが、お宝は見つからず、ただただ残るは筋肉痛と埃とカビで喉が苦しいだけである。
今月の16日から新人の女性が私のところに勤務することになったが、画廊がきれいな仕事だけではないことをすぐに知ることになるだろう。
彼女は帰国子女で、TOIECの成績が900点近いという抜群の英語力の持ち主で、海外の仕事がとみに多くなっている私のところでは大いに期待をしている。
少しの期間だが、画廊にも勤務をしていたこともあり、その経験も是非いかして貰いたい。
皆様にもプロフィールなど改めて紹介させていただく。

2月4日

昨日が節分で、今日は立春。
今年は母親の家の整理で我が家に引き上げてきた荷物がぐちゃぐちゃで、豆まきどころではない。
それでも一応「恵方巻き」を夕食代わりに食べることにした。
いつからだろう、恵方巻きがコンビニやスーパーでも売られるようになったのは。
私もついこの前まで知らなかったが、京都生まれの家内が言うには昔から関西ではこの習慣があったそうだ。
いつの間にか全国区になってしまったが、これもスーパーなどの戦略で、次に控えるバレンタインデーと同じ手合いなのだろう。
それに乗せられる私も私だが。

立春とは言え、いつも日記で使うフレーズ「春は名のみか、風の寒さよ」の通り、格別寒い日が続くが、それでも今日は久し振りに暖かく感じた。
日本列島は今年は記録的な寒さだそうだが、来週から行くソウルはもっと寒いようで、予報では出かける週半ばには最高がマイナス6度、最低がマイナス13度というからあきれる。
できれば行きたくない。

2月3日

先の日記でもお知らせした朝日新聞厚生文化事業団主催の公募展「NEXT・ART展」のHPが出来たので紹介させていただく。

http://www.asahi-welfare.or.jp/nextart2011/photogallery/index.html

私共で昨年個展を開催し、更には朝鮮日報主催の展覧会にも選ばれた青木恵と、仙台在住で同じく昨年GTUで個展をしたうじまりが入選をしていたのは何よりである。
昨日の芸大卒展でもそうだったが、入選者の作品を見てみると、多くは今の流れとは違った方向性の作品が多く、若い作家達も独自性を打ち出そうとしているように見受けられた。
また、こうした若い作家達の作品がデパートで展示されることは、美術ファン以外の方に見てもらえるいい機会になるのではないだろうか。

  2月2日

東京芸大の卒展を見に行ってきた。
途中に多摩美の卒展もやっていたのでこちらも一緒にのぞいてきた。
日本画、彫刻には見るべきものがなかったが、油画、工芸に目を引くものがあった。
特に工芸に興味深いものがあり、偶々気にいった作品の前にいた学生に声をかけさせてもらった。
この秋に、先日浅井飛人作品を展示してくれたジャカルタの画廊から浅井を含め数人の立体展を企画して欲しいとの依頼があり、一度画廊に資料を持って来てもらい、よければ紹介をしてみようと思う。
油画も昨年海外に紹介させてもらった作家もいるので、丹念に見て廻ったが、いいなと思う作家は既に今年展覧会が決まっていたり、画廊の扱い作家になっていたりで、就職戦線厳しき折に、ここでは既に青田買いが始まっていた。
そういう私も、海外からの依頼もあって、眼鏡にかなう作家を探しに来ているのだから、何をかいわんやである。
殆どの学生が作品の前にポートフォリオや名刺を置いていて、卒展イコール就活の場にもなっているのだろう。
以前はアーティストが名刺を持つなど、ましてや学生が名刺を作るなど考えられなかったが、時代も変わりこうして自分をアピールすることはとてもいいことである。
黙して語らずがアーティストとしての矜持という時代ではなくなったのだろう。
デザインは時間がなくなり見ることができなかった。
こちらは時代の先端を先取りする学部だけに見たかったのだが、約束があるので仕方がない。

1月31日

どうせ壊れて動かないと思っていたシリンダー式蓄音機のハンドルを回すと、何と微かな音色が流れてきた。
スムーズとはいかないが、歌声や演奏の音がざわざわという音に混じって聞こえてくる。
デジタルが当たり前の世の中だが、この不器用な音が何とも言えず郷愁を誘う。
母の家を整理していると、他にも父が集めたパイプのコレクションやら古鈴のコレクションやら今時あまり見ることのない代物も倉庫の奥から出てくる。
なんでも鑑定団に出すほどの物はないが、ガラクタと思っていたものも年月を経るとそれぞれに趣が出てくるから不思議だ。
銀座の老舗帽子店「トラヤ」のソフト帽やハンチングも出てきて、早速に昨日の晩は父のソフト帽をかぶって立食のパーティーに出かけた。
丁度、前の晩にテレビで見た映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」のロバート・デ・ニーロを気取ってみたのだが。

1月29日

母の家の整理をしていたら、父親が道具屋から買った古いシリンダー式の蓄音機が出てきた。
音が出るかどうかはわからないが、珍しいものなので我が家に置いておく事にした。
蓄音機の後からは古いレコードも出てきて、その中に私が高校生の頃に聴いていたPPMやブラザースフォーのレコードもあって、当時が懐かしく思い出される。
当時はフォークソング全盛の時代で、学生時代にそうしたフォークやウエスタンバンドをやっていた連中が、最近また親父バンドで活躍するようになった。
私の親友も「ローガンズ(老眼ズ)」というカントリー&フォークの親父バンドを組んで、楽しそうにやっていて、私の画廊でもライブ演奏をしたこともある。
レコードプレイヤーも処分してしまったので聴く事もできないが、他にもジャズのLPなどがあってレコード屋に売るかどうか迷うところである。



1月28日

朝,散歩から帰ってくるといきなりドーンという突き上げるような揺れが。
思わず、東大地震研が出した4年以内に70%の確立で首都圏大地震の予報がいち早く当たったかと肝を冷やした。
テレビをつけると震源地が富士五湖になっている。
河口湖に家があり、震度5というから、多分飾り棚の陶器やオブジェは落ちて粉々になってるだろなとあきらめていたが、何にも被害無しの連絡が管理人からあった。
一安心だが、富士山噴火の前触れかと又不安が脳裏をかすめる。
この年だからその時はその時であきらめるしかないが、家内は今のうちに好きなことはやっておかなくてはと言っている。

偶々昨年の大地震のときに個展が始まり、私のところに向かう途中で新幹線に缶詰にされたYさんが画廊にやってきた。
Yさんはその後も韓国のフェアーに行くために羽田に向かったが、大型の台風が来て電車に閉じ込められたり、帰りのソウルの空港でも事故があって、バスを降りて空港まで歩いたそうだ。
そのYさんがやってきたのだから、地震が来たのも不思議ではない。
できればYさんには外に出ないでじっとしていて欲しいのだが。

1月27日

先般よりお知らせしている、朝日新聞厚生文化事業団による「Next Art展」の最終入選者が決まった。
入選者名はいずれホームページにて発表される。

入選作品32点は以下の予定で展示・販売される。

@ 2月4日(土)〜16日(木)朝日新聞東京本社・本館2階コンコース
午前10時〜午後7時(12日〈日〉は休館)

A 3月2日(金)〜5日(月)松屋銀座8階大催場・朝日チャリティー美術展併設会場 午前10時〜午後8時(3日は午後6時、5日は午後5時まで)
※松屋銀座の展示会場で入札方式により希望者に販売する。
最低価格2万円で、落札値の半額を制作者に還元し、残額を社会福祉事業へ寄付することになっている。

1月26日

昨日審査の帰り、新橋演舞場のすぐそばに立派な門構えの屋敷があるのを見つけた。
入り口にレストラン「花蝶」と看板が出ていて、横にあるメニューには賄いランチと書いてある。
覗いて見ると、1000円と書いてあり、その値段につられて入ってみることにした。
石畳を踏んで玄関に入ると、靴のままで入ってくださいといわれ、立派な設えに躊躇しながら、案内されるままに階段を下りて部屋に入った。
途中に見えた広間には新鋭の日本画家福井江太郎の襖画が飾られ、バーラウンジなどもあって、豪壮なレストランである。
それもそのはず、かって木挽町と言われたこの地で随一の名料亭と称された「花蝶」が、素晴らしい造作はそのままに、料亭スタイルのレストランに姿を変えていたのである。
案内された部屋には一人の客だけで、もしかして値段を一桁間違えたのかと心配になったが、どうやら間違いはなさそうなので、ビーフシチューを頼むことにした。
料亭気分を味わいながら、こんな値段で美味しい食事が出来るのだから有難い。



それにしても時代は変わったものである。
偶然にも、つい数日前に知人から依頼されて、これまた有名な料亭が店を閉じることになり、その美術品や道具類の整理を頼まれたばかりである。
料亭政治や官官接待の時代が終わり、多くの料亭が立ち行かなくなっているのだろう。
贅沢と言えば贅沢なことだが、日本の伝統的な文化もこうして一つ一つ幕を閉じていくのだろうか。
花蝶のように姿・形が残っていればいいが、多くの残された襖画、屏風や掛け軸、道具類と言ったものも、料亭だけでなく、日本家屋がどんどんマンションに姿を変えていく時代にあって、どこにその受け皿を探したらいいのだろうか。
難しい時代になったものである。

1月25日

新聞社主催の次世代若手作家を紹介する展覧会の第2次選考会があって出かけた。
写真選考による1次審査を通過した61点の中から半分の30点が選ばれることになっている。
コミカル風や写実風など今の流行を追うのではなく、自分独自のスタイルを模索しようとしている作家に高い得点を与えようと臨んだが、意外とそうした作風が少ないので安心した。
昨年も同じ機会を与えられ、その中から二人の作家の個展を今年企画することになったが、今年はそうした展覧会をしてみたいと思う作家に出会えなかったのが少し残念ではあったが。

1月24日

今朝は一面銀世界。
昨日の雨が夜から雪に変わり、東京では初積雪となった。
雪はやんだが、溶けた雪が凍りつき、向かいの坂道では転ぶ人が多く 危なかしくって見てられない。
すぐ目の前に交番があるのにお巡りさんは知らん振りなので、雪かきするとか、回り道させるとか、何とかしないと怪我人が出てからでは遅いよと言うと、そうでしたとようやく腰を上げた。
周りはみんな雪かきしているのだから気がつきそうなものだが。
ここの交番は、ついこの前までの落ち葉が散る頃にも、そこだけ落ち葉かきをしないので、目の前ぐらい掃除したらと思っていたが、駐車違反や信号を渡る人には目を光らしているのに、どうしてこういうことに気がつかないのだろう。
小言じじいと言われそうだが、こういうことには腹が立つ。

ここ数日の悪天候と寒さで画廊に来る人も少なく、折角頑張ってくれた堀込の作品も多くの人に見てもらえないのが残念である。
見てくれた人にはとても評判がよく、評論家や学芸員の方が褒めてくれるのが救いである。
中には、若手では第一人者と言ってくれる方もいて、うれしい限りである。
以前のように大作が殆ど売れると言うことはないが、それでも100号の大作など数点が売約となり、この時期としては良しとしなくてはいけないのだろう。

1月23日

昼から又冷たい雨が降っている。

今日は母の命日で昨日一周忌の法要を済ませた。
母が住んでた家には息子夫婦が住むことになり、遺品の整理を急いでやらなくてはいけない。
これが大変で、洋服や着物、靴から食器、家具、書籍など、昔の人間だけに捨てることをしなかったから、山のようにある。
包装紙や、紙袋、ひもの類まで取ってあるから、収拾がつかない。
アルバムや手紙類は捨てるしかないが、穴窯まで造って制作していた陶器や毛筆で書いていた日記類も大量にあって、これは捨てるわけにもいかず、さてどうしたものかと悩んでいる。
着物や毛皮やアクセサリーなどはいくらにもならないし、かえって処分代を取られてしまう。
残された者が大変だから、身辺の整理は早めにしなくてはいけないと家内と話していたら、早速に私が長い間に録画をした1000本近くある映画のビデオを捨てられてしまった。
確かに、これだけのものを観ることは先ずないのだから仕方がないが、いざなくなるとなると寂しいものである。
母親もきっと寂しい思いをしているに違いない。

自分のところもそうだが、今月中に2件の美術品の処分を頼まれていて、こちらも大量にあって、さてどこから手をつけていいか、これも悩みの種である。
私の家のように十把一からげというわけにはいかず、丁寧に査定をしてあげようと思う。

1月20日

長い間雨が降らず、からからに乾いていた東京だが、夜半から降りだした雨は雪に変わり、寒い朝を迎えた。
久し振りのお湿りは有難いが、雪は困る。

ようやく写真のアップのやり方をマスターして、日記にも画像を添付することが出来るようになった。
以前は無償で私共のHPをアップしてくれる方がいて、無理をお願いしていたが、事情があってそうも行かなくなった。
スタッフも忙しくて私の方には手が廻らず、画像無しのブログがしばらく続いたが、ようやくスタッフが教えてくれることになり、何とか一人立ちすることができた。
昨夜、四苦八苦の末に以前の日記にいくつか無事アップすることも出来た。

今日は早速に向かいの建築中のビルの完成予想図を写真にとってアップすることにした。
今から完成を楽しみにしているが、このビルが出来ることで、新たな街づくりを近隣にも提言し、できれば文化ゾーンとしての街づくりを目指してみたい。
その前に私が今いるビルから追い出されないことが先決だが。



1月19日

また山本冬彦氏のブログからの転載だが、常々思っていることなので、我が意を得たりということで紹介をさせていただく。

鹿島茂著「尽王、パリをゆく」(新潮選書)

日本のお金持ちにももっと芸術文化のパトロンになって欲しいものだが、この本はかつて実業家の3代目で己の美学に基づきお金を「消費」することで自分の生活、人生そのものを「芸術」にした薩摩治郎八の伝記だ。
薩摩治郎八(1901年〜1976年)は白州次郎のように有名ではないが、パリの日本館建設に私財を投じたり、画家の藤田や声楽家の藤原義江などのパトロンにもなった人で、パリの社交界で有名だった日本人だ。

戦前の日本でそれなりに文化が育ったのは、教養ある富裕層が「ノーブレス・オブリージュ」で上手なお金の使い方をしていたから。
戦後日本の税制は、多大な個人資産を持つことを許さないうえ、海外のように文化貢献や寄付を奨励する優遇策もないからだ。
そんなことを考えるためにも是非この本を読んでいただきたい。
著者の鹿島氏は美術館でコレクション展をやるような文化芸術に理解のある人だ。

1月18日

月曜日は日本版画商協同組合の初例会。
毎年恒例の新春講話は、いつも各界から講師を呼んでお話をしていただくが、今回は私たちにお鉢が廻ってきて、「最近のアートフェアー事情」と題して、私を含め文京の夫馬氏、グラフィカの栗田氏、ベースの大西氏の4名で話をさせていただくことになった。
時間が限られていて、前もって出されていた設問に僅かしか触れることが出来ず、多少消化不良気味は否めなかった。
時期が時期だけに、みなさんアートフェアーへの限界も感じているようで、前向きな発言が聞かれることはなかった。
私も同じような思いはあるが、今後の新たな展開に期待するところもあって、若干思いは違っていた。
ただ海外にシフトをし過ぎると、国内での新たなマーケットの展開がおろそかのなってしまうので、バランスをとりながら進めていくことの必要性を、皆さんの言葉からもうかがい知る事が出来た。
今年の4月にはシンガポールに小山や大田など数軒の日本の画廊が支店を出すような話も聞こえてきて、アジアにシフトする画廊もあれば、一歩退く画廊もあって、アジア戦略も押しなべてとは行かず、混迷の時代といっていいかもしれない。

1月17日

山本冬彦さんのブログに朝日新聞の村上隆のコメントが引用されていたので、転載をさせていただく。
昨今の状況に萎え気味だった気持ちが鼓舞されたような思いである。

村上隆にあこがれる人は多いと思うが、彼のような戦略と思想を持った上で戦っている人はどれだけいるのだろうか?
芸術文化に関わる人は、是非、全文を読んで欲しい。ラディカルに考え、無力であっても、変えていく気概をもちたい。「ゆるく」「迎合している」だけのアートは無益であるだけでなく「有害」です。これは村上隆のアートが好きか、嫌いかとは別のことです。

【今朝の朝日新聞より】

主体性を持って、社会を変えていかなければならない。一芸術家としても行動を起こすべき。そうした活動を通じて人々を目覚めさせるのが、ぼくら芸術家の仕事なんです。芸術ごときで世の中は変わらない。芸術なんてこの現代社会の中では無能、無意味です。だけど、やり続けるしかない。
ぼくらがもだえ苦しみながら活動している姿を見て、鼓舞され勇気づけられる人たちが絶対いるはずだから。
『クール・ジャパン』なんて外国では誰も言っていません。うそ、流言です。美術大学も、学生がお客さんになってしまい先生は学生に迎合し、独りよがりで幼稚な学生ばかり。先鋭的なものは何も生まれてこない。行政が街おこしにアートを利用するから、アーティストも結構らくにやっていけるので無根拠にもの作りを推奨しすぎる。ぬるい。

先日、ジャカルタに行った折に出会った田中a氏の言葉が思い出される。
「今の若いアーティストはあまりに受身過ぎる。
じっと待っていても何も起こらない。
自分で打って出るべきだと。」
苦労して前衛舞踏でヨーロッパで高い評価を得ることができた氏の言葉だけに重みがある。

1月15日

オペラシティーアートギャラリーの「難波田史男の15年」のオープニングに行ってきた。
史男は32歳の短い生涯の間に2000点の作品を描き残した。
今回はその中から寺田コレクション、国立近代美術館、世田谷美術館等の作品250点が並べられた。
70年安保の騒然とした時代に、多感な史男はその苦悩を絵筆に託し、青春を駆け抜けていった。
色彩は愛だといった史男の言葉通り、その表現は愛と優しさに満ち、描かれた人々は生き生きと躍動をしている。
私には苦悩のかけらも見えないのだが、苦しみや挫折を愛に満ちた絵で打ち消していたのだろう。
海や太陽への憧憬も、現実からの逃避だったのかもしれない。
彼の詩に「海を見つめていると、海で死んだ人たちを思い、自分も海で死ぬこととへの憧憬をおぼえる。」という一篇がある。
九州旅行の帰路、船から転落して短い生涯を閉じたが、描いた作品のように美しい海に全ての苦悩を包み込み、海底に静かに身を横たえたのだろう。

私も史男の作品を数十点集め、展覧会もしたことがあるが、今改めて作品の美しさに感銘を覚えた。
必見の展覧会である。

1月14日

今日から堀込幸枝展が始まった。
透き通るような美しいマティエールと浮遊感が心に安らぎを与えてくれる。
3回目の発表だが、色彩も多彩となり、今までとは一味違った表現となった。
サブカルチャー全盛でマティエールとか物質感といったものが見逃されがちだが、油絵の具がこれほど美しいものだということを実感していただきたい。


1月13日

寒空の中、新年会が続く。
飲めないこともあって、忘年会は不義理することが多いが、新年早々はそうも行かず、このところ連日である。
美味しい料理でついつい食べ過ぎてしまい、体重計に乗るのが怖い。
一昨日行った麻布の「分けとく山」の料理は格別に美味しかった。
隈研吾設計のお店で、日本料理の名店の一つにあげられるだけあって、どの料理も美味でもう一度行きたい店である。
ただ値段が問題だが。
ここの隣りに「ギャラリー華」という画廊があるが、独立美術の吉武研司さんの展覧会をよくやっていて、何度か行ったことがある。
都心には珍しい広い庭のある画廊で、「分けとく山」もその敷地内にあるというから、このあたりの大地主さんなのだろう。
入り口横には10数名の作家による壁画があり、春には枝垂桜が来る人を迎えるという洒落たギャラリーである。
時には庭でのガーデンパーティーもあるようで、「分けとく山」の料理も楽しめるというから、うらやましい限りである。

1月12日

私の画廊の斜め前に銀座にあったギャラリーなつかが移転をしてきて、2日前にオープンをした。
再開発で周辺の多くの画廊が移転してしまい、寂しい思いをしていただけに、一軒でも近くに画廊が出来るのはうれしいことである。
暮れには私共のビルにあった会社が移転してしまい、大きなビルに私のところ一軒だけになってしまい、余計に画廊がそばに来てくれたのはありがたい。
前にも書いたが、大家さんも是非画廊に使って欲しいとの意向なので、新規もしくは移転の予定がある画廊さんは検討をしていただきたい。
隣りの新築ビルの工事もどんどんと進み、まるで積み木細工のようにフロアーが積み重なって上へ上へと伸びていく。
このビルの完成予想図も張り出されていて、ビルの周りを豊かな緑が囲み、都会のオアシスのような場所になるみたいで、来年春の完成が待ち遠しい。

1月10日

あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりありがとうございました。
今年も皆様の心に響くような展覧会を開催してまいりますので、ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

長い休みだったが、仕事を離れ、のんびりと過ごさせてもらった。
昨日の成人の日は友人に誘われ、高尾山へ行ってきた。
ミシュラン効果で大勢の人で賑わうようになったそうだが、昨日も多くの人が詰めかけていた。
京王電鉄から京王プラザホテルの社長を務め、現在相談役のT氏も同行したが、電鉄も思わぬ効果でホクホクとのことであった。
友人の会社の山ガールがたくさん来るとの言葉につられて参加したのだが、3名の参加で肩透かし。
代わりに、不純な動機を心配した我が家の山ん婆が参加し、彩りを添えることになった?
行きは初心者コースということもあって、毎朝のウォーキングで鍛えた健脚振りを発揮したが、帰りの沢下りコースが曲者で、傾斜がきつく、朝起きると久し振りの筋肉痛。
行く前に、娘から高尾山をなめてはいけないよとの言葉が身にしみた。
それでも山頂での絶景と、東大山岳部で鳴らした建築家のI氏が用意した暖かいおでんと途中で飲ましてくれた熱いココアの甘さが、身も心も温めてくれて、登山の醍醐味はここにありを実感することが出来た。
次なる雪原のハイキングの呼びかけにも、今度は間違いなく来るという大勢の山ガールに期待をして、参加の約束をすることになった。

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